磨かぬ玉に光なし

「磨かぬ玉に光なし」とはよく言ったもので、これまで大変な労力を掛けて身に付けてきた技術や知識を使わずにいると、いつの間にか錆付いてくる。俺にとっては「語学力」は非常に錆が目立つエリア。英語力なんかはかなり自信があったが、最近おぼつかなくなってきた。

かつてほぼ毎日のように仕事上の取引で英語を常用していた頃は、会話はもちろん、書類作成なんかもものすごいスピードでこなしていた記憶がある。英語は現在も触れる機会が程ほどあるので、まだ「使える」程度に維持は出来ていると思うが、最盛期の自分を知っているだけに、非常に歯痒く思う事が多々ある。

その他の語学はひどい。タイ語なんかは日常会話は勿論の事、聞き取り、書き取りもそれなりに出来たはずなのに、情けない事に今は全く忘れてる。現地にいってその言葉に揉まれれば思い出すのだろうか?今では自分の名前すらどう書けばいいのか忘れてる。

大学時代に人の数倍は学習したであろうフランス語。これも殆ど忘却の彼方に置き忘れてる。もともとフランス語は使う機会が滅多になかったから仕方ない部分はあるが、当時からマルチリンガルとして自分の武器として育てようという心意気があったら、ここまで酷くは忘れなかったかも知れない。

そして、極め付けが「日本語」

パソコンを使う習慣が身に付いて久しく、手書きでモノを書くという機会が激減。そして漢字をいいカンジ(笑)に忘れた。ホント改めて書き取り練習しないといけないレベルまで忘れてる気がする。これは恐らく俺に限った事ではないかもしれないけど。

まぁ漢字はその都度辞書を紐解いて書いてゆけばよいのだが、構文力や構成力も衰えた。

大学一年の時に毎週一度テーマを決めて2000時程度の論文を書く訓練をしていた時期があったのだけど、その訓練のおかげで、文章の構成力には相当自信があった。テーマを見て、起承転結を頭に描き文章化してゆく。ワープロならば、コピーペーストで書き間違え、構成順序の訂正は簡単に行えるが、その当時はさらの原稿用紙に鉛筆でかいていたから、修正は消しゴムで消せる範囲。しかも時間の制限があるから、やはり書き出す前の準備に不出来で完成した文章の出来が決まる。

ここ数年の俺の生活は、俺からイロイロなスキルを奪って行ったなぁ・・・とつくづく思ってしまう。

でも、そう暗澹たる気持ちになっている訳でもないのが、楽天的な俺の良い所なのか、はたまたただのアホなのか、まだ全てを捨て去ろうって気持ちにはなっていない。

自分が学んできた事、身に付けてきたことは、環境が変わり使う機会が減ったとしても、常に研いでおき、来るべき決戦の機会に臨もうと思ってる。

なんか忠臣蔵みたいだけど・・・

どのような方法で研いでゆくかについては、また次の機会にまとめてみようと思う。

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