閉塞感の中で生きる-2010年の幕開け

「日本人は節目を大切にする民族である。」とはよく耳にする言葉である。

実際、自分も、年末も近くなると「遣り残した仕事」の事やその他の問題を年内に片付けたくてジタバタしてしまう。普段ズボラで部屋の掃除もまともにしないのに、せっせと掃除してみたり。PCのデータを整理しようとしてデータを紛失するのもこの時期だったり。たかが日付が変わって年号が変わる・・・というだけの事なのに、どうしてもこだわってしまう気持ち。「ああ、やはり自分も日本人だなぁ」と感じてしまうのが、例年の決まりであったように思う。

しかしながら、今年はどうだろう?

大掃除はおろか、昨年中に片付けたかった仕事もそのまま、新年の挨拶すらまともにやらずに新たな年を迎えてしまった。さらに、折角一年の大切な節目の年越しを一緒に過ごしてくれたパートナーと新年早々喧嘩をするという始末・・・。

「一年の計は元旦にあり」

まさに、この年明けに起きた出来事が「一年の計」であるとするならば、これは必死に修正しないといけない。そんな一年は過ごしたくないと密やかに反抗する気力は、幸いな事に自分の中に未だに内包されている。もし、そんな気力すら無くなったら・・・本当に自分はダメなんだろう。

あとは、今自分が暮らしている沖縄の気候もこの節目を曖昧にしている大きな要因ではあると思う。最近こそ気温が18度にもなれば「寒い!」というような沖縄人的な感覚が身に付いては来ているが、やはり亜熱帯沖縄。四季の移り変わりが関東に比べて非常に曖昧ではある。暦上は年末であっても、ポカポカと暖かいのどかな太陽を見ていると「師走」といった年末の慌しさは失われてゆくのである。

というように新年への準備不足を気候のせいにしてみたりするも、結局は自分の責任である事は重々承知している。しかしながら、昨年後半から続く、タイトルにも記した「閉塞感」に打ちのめされつつあるというのも事実ではある。先の見えない仕事と今後どうなるのだろうかという不安。これは、決して自分だけが感じている事ではなく、日本全国に蔓延しているように思える。


特にここ沖縄が抱える閉塞感の元凶は根が深い。連日のメディアにて報道されている基地問題はもちろん無視できない沖縄の問題ではある。沖縄発の基地問題に関する意見の流れは、もちろん、地域住民の本音ではあるのだろう。しかしながら、一番重要なことは雇用の確保に他ならないと考える。政権与党が沖縄問題に注目しているこの時期を上手く活用して、是非、沖縄県なりの成長戦略を立案し実現してゆかなければ、ここ南国の島も閉塞感で満ち溢れることは不可避である。


幸いな事に気候が穏やかな沖縄はそんな時代の閉塞感を隠蔽してくれる力がある。この環境をより前面に打ち出した観光戦略もあると思う。現在も取り組んでいる経済特区だけに留まらない、より大きな枠組みの経済活性化の為の仕組みを思い切って取り入れて成功したモデルとなるべく邁進する必要があるだろう。

少なくとも在沖米軍基地により所得を安定させている層もかなり居るわけであるから、経済的な成長戦略のもと基地の是非を問うのが重要なのではなかろうか。

極論を言えば、基地が存在する事により経済的な成長が見込めるのであれば、これを無理やり撤去するのは悪法以外の何者でもないと言う事になりかねない。

話が自分の閉塞感から沖縄の経済成長戦略まで飛んでしまったが、結局の所、それが地方自治体であろうがポンコツに近い個人であろうが、閉塞感を打破する為にはやはり自分自身が動かないとどうにもならないという事である。

一朝一夕に成しえる事ではないが、2010年の年末に悔いが残らぬよう心して一日一日を生きてゆこうと思う。Fuck閉塞感である。

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