Aとの邂逅 - 久しぶりの胸のざわめき
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息を飲むような美しい朝焼け。ワルミ大橋から古宇利島を望む |
夜勤への求職があった平成30年3月末の面接から実に2ヶ月近くを経て、初めて二人で外出することができた。年柄年中誰かれ無く飲み歩いて居た時代であればどうって事のない出来事であるが、Aとの邂逅は始まりから胸のときめきで始まり、会話を重ねるごとにその想いは高まり今に至る。
久しぶりの感覚。忘れていた胸のあたりがざわざわする、もどかしい感覚、、、
Aには福祉関連の事業を興して社長になりたいという夢があるという。昼間は行政の嘱託職員として働き社会福祉士の資格取得を目指して通信教育を受けながら、夜は自分の事業所で夜勤をしながら障害者と積極的に関わりながら多忙な生活を送っている。
面接の際に家族構成やら扶養家族やらを確認した際に「完全なる独り者」との事だった。確かに現在の状況は「完全なる独り者」ではあるのだが、正確には離婚し2人の子供の親権は旦那さま側が取得しているということだ。彼女を知る共通の友人達が口を揃えて「Aには子供が居たはずだが、、、」というのを聞きなんとなくがっかりしたのだが、親権を手放し完全な独りであるならば、まだチャンスはあるとか考えをめぐらしたり。
彼女は自分自身を自己中心的であると言っていた。例えるならば「猫」であると。そして猛烈な「寂しがりや」であるとも。寂しがり屋の定義については各論があると思うのだが、彼女の抱く寂しがり屋という感覚は、結局破綻に追い込まれてしまった結婚生活の中でのパートナーとの心理的なすれ違いの日々から積み上げられて来たものなのかもしれない。
それは家庭内での会話だったりするかもしれないし、悩みや問題を抱えた時に頼るべき相手に肩透かしを食らうような日々が続いたり。
セックスレスについても言及していた。心理的なすれ違いが続くことによって、いつしか相手が求めてくる事に応える事ができなくなってしまったと。肉体的な繋がりはもしかすると男女関係の最後の砦であり、その行為により関係が修復される可能性もあるが、それすら受け入れられなくなった時に、夫婦生活は終わりだと感じたのかもしれない。
とは言え、親権を手放さざるを得なくなった原因というのは彼女の闇の部分。どのような理由があるにせよ、ある程度の仕事をきちんとしながら(経済的な自立を持ちながら)生活している母親が親権を手放さざる得なかったという事は、つまり、離婚の原因は彼女側の不貞なりの重大な原因があった可能性が高い。
この点について軽く確認したところ、居住エリアが変わることによる子どもたちへの影響を考慮して旦那側に親権を残したという説明をしていた。実家へ戻り住居の基盤を実家のある地域にすると子どもたちの学区もかわらざるを得ず、学校を変わることは嫌だという子どもたちの意見を尊重したのだという。
理由は正直どうでもよい。過去の行動をすべて合理的に理由づけして肯定する作業を行う事などナンセンスだし、何より俺自身ですら合理的に沖縄に来た理由から未だに独身でいる理由などは説明できない。
大切なのは今とこれから。
過去の出来事は水に流し未来を見据えよう。
過去から今までの繋がりが現在のその人の存在そのものであるという点は間違いないのだが、変更不能な過去はもうよい。当人を理解するために知りたいという興味はあるが、当人がもし拒絶するのであればそれは求めない。
彼女は今も子供の学費と携帯電話の費用を負担していると言っていた。それは親権を手放してしまった彼女が子どもたちと繋がれる理由なのかもしれない。その繋がりを保つ為にも彼女は経済力を身につける必要があるのかもしれない。
僕は彼女の物語を反芻しながら彼女を理解しようと試みる。
彼女は俺のその試みを感じて「まるで裸に剥かれているようだ」と言っていた。
確かにその通りだと思う。
俺も同じように自分を正直にさらけ出す事ができるだろうか。自分を晒したときに嫌われたりするのではないか。そんな不安に苛まれながら彼女と対峙するのではなく、嫌われようが好かれようがありのままの自分をさらけ出す事が大切なのかもしれないと思ったり。
頭から溢れて出てくる言葉を紡ぐ。
Aと邂逅し胸がざわめきを感じた時に。
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